【コラム】Vol.2 『物理学者たち』はどんな時代に書かれたの?
コラム第二回は、デュレンマットが『物理学者たち』を生み出した当時の世界情勢に迫ります!
『物理学者たち』が書かれたのは1961年。フリードリヒ・デュレンマットは当時40歳。
第二次世界大戦後が終わり16年を経た1961年は、いったいどんな年だったのだろう。
日本と世界の出来事を調べてみました。
■1961年の日本
一般家庭ではカラーテレビが普及しはじめ、現代のバラエティ番組の礎となった「夢であいましょう」「シャボン玉ホリデー」などがはじまり、NHKでは連続テレビ小説(いわゆる朝ドラ)の放送がスタート。
坂本九の「上を向いてあるこう」、植木等の「スーダラ節」がヒットし、映画では黒澤明監督の「用心棒」が公開され、松本清張の「砂の器」がベストセラーになった年でした。今でも耳にする名作の数々ですね!
さらには、3年後(1964年)に開催する東京オリンピックに向け、国内で初めてジェット機の運航が開始、大阪環状線が全線開業するなど、経済の成長とともにエンタメやスポーツ、産業も大きな発展の時期となっていました。
■世界の出来事
ジョン・F・ケネディが第35代アメリカ大統領に就任し、ミュージカル映画『ウエスト・サイドストーリー』やディズニー映画『101匹わんちゃん』が公開、「地球は青かった」のガガーリン(言っていない説もあり)が、世界初の有人宇宙飛行に成功するなど、誰でも知っている人名やタイトル、明るい話題の数々が目に留まります。
そんな中、アメリカとキューバが国交断絶。のちに核戦争の寸前までいく「キューバ危機」につながる「ピッグス湾事件」が勃発。東ドイツでは東西ベルリンを分断する「ベルリンの壁」を建設。さらにソ連による人類史上最大の水素爆弾ツァーリ・ボンバの水爆実験……と、歴史に詳しくなくても聞いたことのある、世界中を震撼させた出来事の数々に、緊迫した世界情勢を感じます。
政治の転換や核の登場、宇宙開発にむけた科学技術の進歩により、様々な正義や倫理感、夢と欲望が渦巻いていた(のか?)1961年。
第二次世界大戦による甚大な原爆被害、2011年の福島第一原子力発電所事故を経験した日本を生きる私たちにとっても、『物理学者たち』でも取り扱われる「核」という言葉は遠い存在ではないように感じます。
「書くこと」で世界情勢に立ち向かおうとしたデュレンマットが『物理学者たち』に込めたメッセージ。受け取り方に正解はありませんが、時代背景を知ることで、より深く作品を読み解く、もしくは妄想するヒントになれば幸いです。
もちろん、ただただ日常を離れてこの物語を面白がるということも、演劇の楽しみ方のひとつだと思います。
☆次回Vol.3は7月26日に更新予定です。『物理学者たち』のあらすじや、その他デュレンマットの代表作について紹介します。
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